耐えて蓄えた日々が糧になる〜移住者は多かれ少なかれ病むという話〜
福島県いわき市に移住して、この3月で丸3年半、4年目に入っています。
現地に馴染んだ移住者という立場で、取材を受けたり、
https://mainichi.jp/articles/20170411/ddm/010/040/029000c
移住ライターとして、移住仲間を取材したり、
https://www.70seeds.jp/kawauchimura-sumiyaki-355/
いろいろしており、そして自然と移住仲間も増えて、感じたことと自身の経験を、自分の言葉で書いてみたくなり、久しぶりにブログ更新。
タイトルの通りで、理由はそれぞれだと思うのですが、移住者って多かれ少なかれ病む時期があると思うのです。少なくとも、私の周りの移住者たちは、結構病んだ経験がある。
原因は様々なんですが、私の場合は、
・地域の事情を知らな過ぎた
・田舎の風習に免疫がなさ過ぎた
・なのに使命感だけは持っていた
・そして地方都市で暮らすスキルが低かった(主に運転)
辺りが原因かなぁと今にしてみると思っています。
なので、来てから1年半は本当に辛かったです。
「適応障害」と「冬季うつ病」を併発し、冬季うつ病は今もまだ完治してません。(ただ被災地にいると、2月〜3月11日まではいろいろ心落ち着かない日々が続くので、これは仕方ないのかも知れません)
でも、望んで福島に移住したのに、何も残さないうちに横浜に帰れない!という意地で、地域を歩き回ったし、人と会いまくったし、難しいなと思った仕事は変えたりしました。
そんな中で、私を認めてくれる仲間に出会うことで、自信を少し取り戻し、心も満たされ、いわき好き!双葉好き!ていうかここの人たちが大好き!と思うようになり、暮らしも楽しくなって行きました。
そして、この大好きな仲間と一緒に、私に出来ることは何かな、と考えて、「未来会議」という場づくりやピッチイベント「浜魂」のスタッフをしたりしています。
それからこの地域のために、移住者として私が出来ることとして、SNSや「いわき経済新聞」を通して、未だに「被災地」として見られることの多い「福島」の、「いま」の「前向きな」人やことを発信してます。
でも、そういう風に発信できる様になるまでに、2年かかってます。
一番の理由は、私が最初、行政機関で働いていたこと(いや、今もなんだけど)。私の発信=勤務してる市町村の承認を得てる発信と捉えられかねないから。
それから、地域への理解がまだまだ足りなかったこと。自分もよくわかってないことを迂闊に発信は出来ない。(だから来たばかりの私の発信は、「美味しいもの」「綺麗な景色」ばかりだった。それらには、深い理解が無くてもまぁ大丈夫だし、その発信で誰かを傷つけることは殆どないから)
私の発信を、福島の発信と鵜呑みにする人がいる可能性はあって、そう思えば、無責任な発信は出来ない。「山根さんがこう言ってた」と言葉が一人歩きすることを考えると、発信出来ることなんて、本当に限られてしまう。
それはもちろん、移住して3年半経った今も肝に命じていて、だから発信するときには、考えに考えているし、苦しんだ結果の発信だったりするし(特に記事は)、それでも失敗することはある。そういう時はしばらく病む。
でもなぜ今、発信を止めないのかと言えば、理由は2つあります。
ひとつは移住者として、福島と首都圏を行ったり来たりする機会が、福島県在住の人より少し多い身として、首都圏に今の福島の楽しさや前向きさや普通の日常が、本当に伝わってないなと感じて、勿体ない、悔しいと思うから。こんなに可能性があって、面白い人が沢山いる福島県浜通りに、もっと人が来て欲しい。
もうひとつは、仲間が応援してくれるから。この地域を好きになってくれて、麻衣ちゃんが発信してくれるのはうれしいと言ってくれるから。この地域を価値あるものだと発信するのは、移住者の方が適していると思ってくれる人が結構いると知ったからです。
(いわき市田人町のいちご。福島県のいちごの約40%をいわきでつくっているんですって)
でも何度も書きますが、それは私と、あと多分周りの人が、耐えて来た日々が積み重なっての今なんです。
きっと私は、無礼で失礼なことをしてきたのだと思うし、私も地域や周りの人の何気ない言葉や態度に傷ついたりもした。
でもそれがすべて糧になって、今、いわき大好き、双葉大好き、浜通り大好き、そこに暮らす人たちが本当に好き、ってなっている。
ローマは一日にして成らず。
移住は1年にして慣れず。
なんじゃないかなぁと思ってます。
もし、移住してはみたものの、悩んだり病んだりしてる人がいたら、あなただけじゃないよ、頑張れば報われたり、理解してくれたりする人が現れるよ、と伝えられたらなぁと。