やまねえの東北応援日記

横浜からいわきに移住して、思ったことをつれづれ書いていきます  (このブログは個人の責任で発信しています。所属団体や紹介団体の意見ではありませんのでご了承ください)

山根麻衣子 2018年執筆記事

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                  (カバー写真:鈴木 穣蔵 (Jouji Suzuki)さん撮影)
12月
いわき「カフェキートス」で夜カフェ 光と影を使った一夜限りの演出も(いわき経済新聞)

iwaki.keizai.biz


11月
いわきの地域活動家・小松理虔さんと柳美里さん、南相馬トーク(いわき経済新聞)

iwaki.keizai.biz


いわきマリンタワーがパープル・ライトアップに賛同 女性に対するDV根絶のキャンペーンで (いわき経済新聞)

iwaki.keizai.biz


10月
バーベキューで福島の食を発信したい! たっちゃんのLIVE BBQ(docomo 笑顔の架け橋 Rainbowプロジェクト

rainbow.nttdocomo.co.jp


演劇は「浄化」である。ー福島県南相馬市で23年ぶりに復活した、芥川賞作家・柳美里さんの「青春五月党」が、旧警戒区域に「心の水路」をつくる(greenz.jp

greenz.jp


福島で「暮らす」ということ〜移住5年目、ようやく言葉にできました(おきてがみ| note)

note.mu

青春五月党復活公演第2弾「町の形見」 柳美里さんと南相馬市民のコラボ(いわき経済新聞

iwaki.keizai.biz



9月
柳美里さんの演劇ユニット「青春五月党」、南相馬で復活公演 地元高校生ら出演(いわき経済新聞)

iwaki.keizai.biz


移住者から避難者、支援者まで。福島で開かれる対話の場「未来会議」とは?ーあのころとこのごろ 「未来会議」と福島のいまvol.001(Colocal コロカル

colocal.jp



8月
誇れるものは地元にある 2種類の「ショク」を届ける福島のローカルスナック(70seeds

www.70seeds.jp


町に戻った人も戻れない人も 誰もが集える場所、浪江町の「あおた荘」(docomo笑顔の架け橋 Rainbowプロジェクト

rainbow.nttdocomo.co.jp


郡山にローカルスナック 福島の日本酒が飲み放題、クラウドファンディングも(いわき経済新聞)

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双葉郡富岡町に音楽戻る 音楽フェス「とみロック」にACIDMAN葛城ユキさんら出演(いわき経済新聞)

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7月
福島での起業をサポート 「ふくしま復興塾」第6期生募集(いわき経済新聞)

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6月
「夜の森で踊りたい」 よさこいで描くふるさとの未来(docomo 東北復興・新生支援「笑顔の架け橋Rainbowプロジェクト」)

rainbow.nttdocomo.co.jp


いわき市にある国宝建造物「白水阿弥陀堂」の見どころと絶対もらっておきたい御朱印まで(福島TRIP

www.fukushimatrip.com


いわきの里山で音楽フェス 田人のモモカフェ10周年を機に (いわき経済新聞)

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5月
大志を抱かなくても大丈夫。新卒「地域おこし協力隊員」が悩みの果てにみつけたもの (70seeds)

www.70seeds.jp


私が柳美里さんの本屋「フルハウス」を手伝うことになった理由 (マガジン航[kɔː])

magazine-k.jp


小名浜を歩いて楽しむ「ホノホノオナハマ」 いわきとハワイ文化がコラボ (いわき経済新聞)

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インスタ女子必見!地元愛が生んだ銀河系スイーツ「ギャラクシーマカロン」 (福島TRIP)

www.fukushimatrip.com



4月
双葉郡富岡町夜ノ森の桜、今年もライトアップ 8年ぶりの桜まつりも(いわき経済新聞)

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いわき駅ビルに「セガフレード・ザネッティエスプレッソ」 福島県初出店 (いわき経済新聞)

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3月
【3.11特集】「町に嫁入りしたような毎日」隣り合った人と晩酌してしまう小料理屋で、女将が結ぶ縁(70seeds)

www.70seeds.jp


いわきで東北初テオ・ヤンセン展 「自由に触って遊んでほしい」(いわき経済新聞)

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2月
【3.11特集】炭焼との出会いが人生を変えた-手に入れたのは五感をフル活用する生き方(70seeds)

www.70seeds.jp



私がいわき経済新聞で双葉郡の記事を書く際の覚悟

横浜市から福島県いわき市に移住して4年。
移住3年目に「いわき経済新聞」の運営をはじめ、はや1年以上。先日、私的記念すべき取材があった。

記事としては、以下の様に本日6/1に公開済みである。

双葉郡富岡町で「わくわくフリマ」 避難解除後の町に日常とにぎわいを(いわき経済新聞)

iwaki.keizai.biz

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(「わくわくフリマinとみおか」の会場となる、福島県双葉郡富岡町の「さくらモールとみおか」駐車場)

何が記念すべきことだったかと言えば、この取材では、取材相手(インタビュイー)も執筆者(ライター)も、両方とも双葉郡出身の女子だったのだ。
自身の地元のことを地元の人が発信する。それは移住者の私がメディアを運営する中でのゴールのひとつだった。だから、とてもうれしかった。


私がいわき経済新聞の運営をすることになったのにはいくつか理由がある。
元々いわき経済新聞を運営していたいわきの団体が、運営できなくなってしまったため、いわきに移住していた私に打診があったのだ。 

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 震災後、横浜に居た時に、ヨコハマ経済新聞を運営するNPOにつとめていた私は、みんなの経済新聞ネットワーク(いわき、ヨコハマ他全国・海外160以上の地域の経済新聞)のやり方と発信力を知っていた。そして、このいわきで、発信したいこと、届けたいことが沢山あった。

「私にやらせてください」

地元に協力者を得ようと、いわきのまちづくりNPO「TATAKIAGE Japan」に地元メディアとしての力をプレゼン。彼らを連れてみんなの経済新聞ネットワーク本部である、シブヤ経済新聞編集部に行き、この人たちと一緒にいわき経済新聞やりますと伝えたのが、2016年夏のことだった。

 

その時に、本部にお願いしたことが、「いわき経済新聞の中で、双葉郡の記事も書かせてほしい」ということ。
いわき市双葉郡はつながっているだけでなく、2018年のいまでも、約2万人の双葉郡の住民がいわき市に避難している。いわきで発信される情報の中に、双葉郡の情報が入ってくるのはごく自然なことだと。

みんなの経済新聞ネットワークでは、「広域〇〇圏」という言い方をしており、例えば町田経済新聞では隣の相模原市のネタも扱う。というわけで「広域いわき圏」のネタを扱ういわき経済新聞で、双葉郡の記事を書くことは、あっさり許可されたのだが、まずここを確保することは私の大きなこだわりであった。


私自身がいわき市に移住したきっかけは、2014年に、福島第1原発が立地する双葉町の復興支援員となったことだった。

双葉町の方は、今でも約7000人の町民すべてが全国に避難している。その中で一番多くの方が避難しているのがいわき市なので、私もいわき市に配属された。

 

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いわき市内の双葉町仮設住宅に準備される、双葉町の新春恒例イベント「ダルマ市」に使う巨大ダルマ引き)

 

私は、いわき市に移住してきたものの、はじめの1年半は、避難している双葉町の人たちの話を聞き、双葉町の業務をしていたので、実はいわきのことをよく知る余裕が無かった。その代わり、双葉町をはじめとする双葉郡の情報は次から次に入ってくる状況だった。

 

双葉町復興支援員の任期を終え、いわき市中心部で働くようになってから、いわきの面白い人や活動に出会い、友人も増え、いわきのこともだんだんわかってくる中で、この地域(いわき市双葉郡)のこと、発信したい!という想いが募っていった。

 

ただ、被災地にありがちな「よそ者が勝手にやっている」という活動はしたくなかった。だから、市内で開催される興味のあるイベントには積極的に参加し、誘われる飲み会にはほぼ参加し、地域の人が本当に望んでいるか、私のしたいことにニーズがあるか、丁寧にお話を聞かせてもらっていた。(と言っても、単純にイベントや飲み会を、その場に暮らす人間として楽しんでいた訳なのだけど)

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(今年も全国新酒鑑評会で金賞を受賞した、いわきの地酒「又兵衛」)

 

そんな風に、2年間くらいは構想をあたためていた中での、いわき経済新聞運営の打診。

「それは外から来たまいちゃんにしか出来ないよ」
「私の地元を好きになってくれて、外に発信しようとしてくれることがうれしい」

友人たちに言ってもらえたことが、実は一番の動機になったのだ。

 

いわき経済新聞には、記事化するにあたり、明確なモットーがある。それは「いわきと双葉のハッピーニュースを届けます」。

 

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双葉郡でのお気に入り場所のひとつ、川内村の「カフェ アメィゾン」)

 

福島と首都圏を行ったり来たりする機会が、ほかの福島県民より多い私は、福島県外に流れるニュースが、ネガなことばかりだったり、震災当時からアップデートされていなかったりするのを、常に感じている。

 

だから、いわき経済新聞では、いわきと双葉の前向きでハッピーなニュースだけを扱う。いわき市双葉郡をはじめとする、福島県浜通り地域に興味を持って検索した人たちに、少しでもいま、この地で前向きに生きている人たちの想いや活動が届くようにと。そして最終目標は、移住者の私ではなく、地元の人が中心となって運営して行けるようにと。

※そんな想いを、昨年取材いただきました
東日本大震災 被災地から いわきの活力を発信 移住しサイト編集長に(毎日新聞

mainichi.jp

 

そんな気持ちで運営しているいわき経済新聞だが、どうしても避けられない嫌なことがある。特に双葉郡の記事を公開したとき、それがYahoo!ニュースに転載されると、コメント欄に心ないことを書く人が結構な割合でいることだ。

news.yahoo.co.jp

※見出しの最後に(みんなの経済新聞ネットワーク)とあるのが、いわき経済新聞の記事です

 

ニュースのコメント欄なんて、大体コピーペーストされた戯言で、読む価値もないものだと、気にするだけ無駄だということはわかっている。でも運営を始めた当初は、私がこの記事を発信しなければ、この地域の人がこんな言われをすることはなかったと気に病んだりもしてしまっていた。私の発信した記事で、地域の人が傷つくようなことがあるなら、発信しない方がマシだと。

 

取材を申し込むとき・お話しするとき・記事を書くときの言葉選び、内容の確認、発信するタイミング、全てに魂削るほど気をつけて発信しても、なにかの拍子で傷つけてしまうことはあるのに、「双葉」という単語だけで脊髄反射的に何か発してしまう残念な人がまだまだいる。

それでも私が発信をやめないのは、本当のことが届いてほしいから。特に遠く離れたところに避難している人たち、故郷を思っている人たちに。そしてもちろん、この地域に関心を持ってくれてる人たちに。

※たとえばこの記事は、双葉郡の桜の名所「夜ノ森」にいまだ立ち入りができないと思っている、首都圏在住の富岡町出身の人たちがいると知って書いた記事です。

双葉郡富岡町夜ノ森の桜、今年もライトアップ 8年ぶりの桜まつりも (いわき経済新聞)

iwaki.keizai.biz

 

まだまだ私の言葉やスキルが足りないことはわかっている。相手を傷つけたくない、自分も傷つきたくないから、取材しながらも深く入り込めないこともある。
でも、大好きな人がたくさんいる、福島県浜通り地域のことを、暮らしながら発信し続けていく、覚悟だけは持っているつもりです。

私が地域の人になるのか、地域の人がいわき経済新聞を運営するのか。両方が叶えば、すごくうれしいことだなと思っているところです。

 

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双葉郡楢葉町、天神岬をのぞむ)

 

私が柳美里さんの本屋「フルハウス」を手伝うことになった理由

 

偶然と縁がこれだけ重なると、必然だったのかも知れないと思う。

芥川賞作家の柳美里さんが、福島県南相馬市小高区の自宅をリノベーションして、2018年4月9日に開店した本屋「フルハウス」の、主にイベント運営のお手伝いをしています。

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最初のきっかけは、私が2016年に受講していた「ふくしま復興塾」の代表をしている加藤博敏さんの呼び掛けだった。曰く、「芥川賞作家の柳美里南相馬市に本屋と劇場をつくろうとしている。著名な人が多く関わる一大プロジェクトになる。クリスマスイブにキックオフイベントが開催されるので手伝いを募集する。関わって絶対損はない」(要約するとこんな感じ。とにかく熱いメッセージがFBグループに投稿された)

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中学生の頃、小説家になりたかったとか、中学高校は演劇部だったとか、なにより福島県浜通りで新しく始まるプロジェクトのキックオフイベントということで、とても興味はあったけど、私には実はそのクリスマスイブには、既に予定があった。25年来ファンであるaccess新潟県の苗場でライブを行う、そこに友人たちと申込済みだったのだ。

「当日は手伝えないけど、その後でも何かできることがあれば手伝わせてください」想いだけは書き込んでおいた。

 

その後少し経って、横浜時代の友人で、元NHK横浜放送局のキャスターの、船本由佳さんのFB投稿が目に留まった。「横浜放送局の先輩で、今は福島放送局にいる吾妻謙アナウンサーが、NHKラジオ深夜便を担当するので是非聴いて欲しい」と。後から聞いてみたら、その投稿は公開投稿ではあったけど、福島に移住している私を意識して書いてくれたとのことだった。しっかり届いたことも、偶然ではなかったのかも知れない。

 

そのラジオ深夜便で、柳美里さんが書き下ろした「窓の外の結婚式」というラジオドラマが流れた。吾妻キャスターを始めとするNHKキャスターに当て書きをした、柳美里さんにとっては随分と久しぶりのシナリオ執筆だったという。

そのシナリオは、南相馬市で家族を津波で流された妙齢の女性と、その女性と再婚した県外出身の男性の、モノローグと会話で構成されていた。

再婚して夫婦になってはいたが、女性はまだ津波で流された伴侶や家族のことをずっと胸に抱えており、男性もそのことをわかっているから、触れずに、でもなんとか支えようとして暮らしている。物語の最後は、それでもお互いを認め合いながら散歩に出かけていく、というように締めくくられていたように記憶している。

その物語は、南相馬市臨時災害放送局南相馬ひばりFM」(2018年3月31日で閉局)で週に1回パーソナリティを務め、南相馬市やこの地に関わる人の話に真摯に耳を傾けてきた、そして鎌倉市の自宅を売却して南相馬市に移住してまで、この地の人々のことを知ろうとし続けてきた柳美里さんだからこそ書けた、リアルなものだと感じて聴き入ってしまった。

 

私が柳美里さんを意識したもう一つの出来事は、私が福島県いわき市で2015年から運営として参加している対話の場「未来会議」で、柳美里さんをゲストに招いた時のことだった。思えばその時も、私はイベント司会をしていたのだが、「それぞれのふるさと」というテーマで、移住者である柳美里さんと地元いわき市勿来在住の室井潤さんをゲストにトークを展開してもらった。その時にも、柳美里さんの、福島県浜通りに対する真摯な姿勢や鋭い洞察、そして愛情を感じて、この人著名人なのに、いやだからこそすごいな、って思っていた。

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そんなことが続いて、やっぱり私、クリスマスイブの柳美里さんのイベント手伝いたい、って気持ちが募っていった。

 

でも友人との約束のライブもある、しかも結構高額なチケット代と宿泊代も交通費も支払い済みだ。くだらない悩みだと思う人もいようが、ライブが生き甲斐の私にとってはいたって真剣な悩みである。

そんな中ライブのチケットが届いた。12/23と24の2DAYS、その内の24日、つまりクリスマスイブの席が、いわゆる「神席」(前から数列目のセンターブロック)だった。これなら譲渡できる!友人には平謝りし、ファンに円滑に譲渡し、きちんと資金は取り返した上で、私はクリスマスイブのイベントに参加できることになった。

 

前日の晩にはしっかりライブを楽しんだ後、クリスマスイブの早朝5時に新潟県の苗場を出て南相馬市小高区に向かう。新幹線を2つ乗り継ぎ、仙台からJR常磐線福島県に南下する。その時間、6時間!しかもその日は強風だか大雪で、軒並み新幹線が運休したり、大幅に遅れていたりした。「せっかくライブ返上で来たけど、間に合わないかも知れない。まぁそうだったらきっとこのプロジェクトには縁がないんだな」そう思って、駅員さんに聞いてみた。「この切符で小高まで最短で行こうとしたらどうすればいいですか?」駅員さんの返事は、「あ、その新幹線だけ、時間通りに動いてます。そのまま乗車してください」だった。マジか!

 

かくして時間通り、お昼前には小高駅に降り立つことが出来た。

プロの仕事で、柳美里さんの自宅倉庫は、既に「劇場」になっていた。

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客入れをする前に、レンタルで入れた100脚以上の椅子を拭いたり、見えやすいように並べ替えたり、導線を作ったり、掃除したり、やることはいろいろあったが、横浜時代からイベント運営だけは数をこなして来たから、裏方がやるべきことはすぐにわかる。黙々とこなしながら、ひと段落したところでちょっと休憩して来ますーと、同じふくしま復興塾から駆り出されたメンバーと小高駅前の移動コーヒースタンド「オムスビ」で一休みしていたところに着信。このイベントに声掛けした、ふくしま復興塾代表の加藤さんだった。「山根、お前総合司会、やれ。」「え?え、今日のですか?」「出来るだろ、すぐ戻って来い」確かに私は、ふくしま復興塾の年に一回の発表会で司会をさせて欲しいと加藤さんに頼んではいたが、今日みたいな一大イベント、私でいいのか?と思ったのは一瞬。「はい、わかりました。やります。すぐ戻ります!」こんなチャンス、逃すわけないじゃない。

 

渡されたのは進行表というよりタイムテーブル。最低限観客の皆さんに伝えなきゃならないこと(トイレの場所、撮影・飲食の可否、マスコミ対応etc)、出演者の名前の読み方、どこで柳美里さんに振るのか、その場で疑問に思ったことは全部リストアップして聞いた。柳美里さんは、「基本的に山根さんにお任せするので」と一任してくださったのでとてもやりやすかったし、演出や照明の責任者である、海藤春樹さんが横についてサポートしてくれたこともあり、楽しみながら進行が出来、ステージの横の一番近いところから全ての演目を観ることができ、役得とすら感じました。

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(そしてこれも偶然か必然か、この日のメイン、柳美里さん作「ねこのおうち」の朗読劇のキャストも吾妻キャスターだったのです)

 

なんとかつつがなく(でも一部お名前間違いあって申し訳なく思っております)、当日無茶振り司会がこなせたのは、もちろん私が司会業を、横浜時代から、そしていわきに来てからも何回も経験させてもらっていたからに他ならないのだけど、その私の度胸と進行を柳美里さんが気に入ってくださったようで、今後も手伝って欲しいとお声かけいただいたのでした。沢山の人とのつながりからいただいた依頼、断る理由は何も無いです。

 

クリスマスイブに、まずは劇場のプレオープニングイベントを行いましたが、先にオープンするのは本屋さんの方だと決まっていました。そのオープン日は4月。クリスマスイブの段階では、まだその場は手つかずでした。大丈夫かなー?と思いながらも、年明けになると、福島県内の地方紙や東北地方のブロック紙などで、どうやら本屋の準備は着々と進んでいるらしいということは伝わって来ていました。

 

そんな3月中旬に、柳美里さんから連絡がありました。本屋のオープンが4/9(月)に決まったので、直前準備と、またセレモニーの司会をお願いしたいと。もちろんその場で有給申請しましたよね。

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実は私は、新卒で入った会社がドン・キホーテで、2軒店舗の立ち上げに関わっていました。だから開店前のバタバタと、そして開店の時期にしか味わえない、ゼロからお店を生み出す、なんとも言えない充実感を、身を以て知っています。なので、オールボランティアであっても、喜んで手伝いたいと心から思ったのです。

 

しかし、それにはどう考えても人手が足りない。今でもですが、本屋フルハウスは、柳美里さんと伴侶の柳朝晴さんと2人だけで運営しています。ボランティアを募るにも、私が広域に声かけしても効果は薄いだろう…と、ふくしま復興塾の代表加藤さんに頼んで声かけしてもらったり、気心の知れている仲間たちに一本釣りでお願いしたりして、信頼できるボランティアだけを集め、開店準備と当日に臨みました。

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(他にもボランティアしてくれた仲間がいるんだけど、写真が無くてごめんなさい…)

 

なぜ私がそこまでするのか。これは私の個人的な経験からする想像ですが、いくら柳美里さんが著名な作家だとは言え、震災後に移住してまだ数年。おそらく気軽に頼める近所の人は多くは無いのだろうということや、やはり本業は作家であるので、いい意味でも悪い意味でも、純粋で浮世離れした部分があるのを感じて、放っておけないと感じてしまったこともありました。(なんとも僭越な話ですが…。やっぱり天才には天才の仕事があり、それをサポートするのが凡才の役目だと思うのです)

あとは何より、私自身がこの、福島県浜通りの、津波原発事故で沢山の人が離れざるを得なかったこの場所に、本屋と劇場をつくるというプロジェクトに可能性を感じ、応援したい、絶対潰したくないと心から思っているからです。

 

そして、まぁもちろんいろんなバタバタはすごく沢山ありましたが、無事にオープンし、本日まで定休日以外は休みなく、沢山のお客様に来ていただけているようです。(平日は私も本業の仕事があるので行けません)

 

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(開店のあいさつをする柳美里さんと、このお家の前オーナーのお孫さん中島穂高くん)

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そして今の私は、毎週土曜日にフルハウスで開催されているイベントに、毎回司会としてお手伝いをさせてもらっています。

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(4/28(土)芥川賞作家・中村文則さんをゲストに迎えて)

 

それからオマケとして、フルハウスのFBページの中の人も。

f:id:maikoyamane:20180505025748j:imagehttps://www.facebook.com/yumiribookstore/

これも、横浜時代から何件ものFBページの管理人をやって来たので、私にとっては苦にならずに出来ることなのです。特に柳美里さんはツイッター民で、FBにはなかなか情報が流れないのでちょうどいいんです。

 

まぁ、非常に長くなりましたが、こんな経緯でお手伝いしてますってことを、私的にも残しておきたくて書いてみました。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

ぜひ、フルハウスに足を運んで、本買ってください!いくらよいプロジェクトでも、売り上げが無かったら続けられないので。(急に現実的な話になりますが、ホントここは肝なので…)

本のセレクトショップというのがぴったりな、柳美里さんと柳美里さんの友人たちが選書した本だけが蔵書されてるラインナップは、とても素敵なので、南相馬市まで来る価値はあるんじゃないかなと思います。

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柳美里さんの本は、全て直筆サイン入りです)

 

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ご来店、お待ちしております!

 

 

 

 

 

 

耐えて蓄えた日々が糧になる〜移住者は多かれ少なかれ病むという話〜

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福島県双葉郡楢葉町で見つけた春。2018年3月4日撮影)

 

福島県いわき市に移住して、この3月で丸3年半、4年目に入っています。

現地に馴染んだ移住者という立場で、取材を受けたり、

https://mainichi.jp/articles/20170411/ddm/010/040/029000c

移住ライターとして、移住仲間を取材したり、

https://www.70seeds.jp/kawauchimura-sumiyaki-355/

いろいろしており、そして自然と移住仲間も増えて、感じたことと自身の経験を、自分の言葉で書いてみたくなり、久しぶりにブログ更新。

 

タイトルの通りで、理由はそれぞれだと思うのですが、移住者って多かれ少なかれ病む時期があると思うのです。少なくとも、私の周りの移住者たちは、結構病んだ経験がある。

 

原因は様々なんですが、私の場合は、

・地域の事情を知らな過ぎた

・田舎の風習に免疫がなさ過ぎた

・なのに使命感だけは持っていた

・そして地方都市で暮らすスキルが低かった(主に運転)

辺りが原因かなぁと今にしてみると思っています。

 

なので、来てから1年半は本当に辛かったです。

適応障害」と「冬季うつ病」を併発し、冬季うつ病は今もまだ完治してません。(ただ被災地にいると、2月〜3月11日まではいろいろ心落ち着かない日々が続くので、これは仕方ないのかも知れません)

でも、望んで福島に移住したのに、何も残さないうちに横浜に帰れない!という意地で、地域を歩き回ったし、人と会いまくったし、難しいなと思った仕事は変えたりしました。

 

そんな中で、私を認めてくれる仲間に出会うことで、自信を少し取り戻し、心も満たされ、いわき好き!双葉好き!ていうかここの人たちが大好き!と思うようになり、暮らしも楽しくなって行きました。

そして、この大好きな仲間と一緒に、私に出来ることは何かな、と考えて、「未来会議」という場づくりやピッチイベント「浜魂」のスタッフをしたりしています。

 

それからこの地域のために、移住者として私が出来ることとして、SNSや「いわき経済新聞」を通して、未だに「被災地」として見られることの多い「福島」の、「いま」の「前向きな」人やことを発信してます。

https://iwaki.keizai.biz/

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でも、そういう風に発信できる様になるまでに、2年かかってます。

一番の理由は、私が最初、行政機関で働いていたこと(いや、今もなんだけど)。私の発信=勤務してる市町村の承認を得てる発信と捉えられかねないから。

それから、地域への理解がまだまだ足りなかったこと。自分もよくわかってないことを迂闊に発信は出来ない。(だから来たばかりの私の発信は、「美味しいもの」「綺麗な景色」ばかりだった。それらには、深い理解が無くてもまぁ大丈夫だし、その発信で誰かを傷つけることは殆どないから)

私の発信を、福島の発信と鵜呑みにする人がいる可能性はあって、そう思えば、無責任な発信は出来ない。「山根さんがこう言ってた」と言葉が一人歩きすることを考えると、発信出来ることなんて、本当に限られてしまう。

 

それはもちろん、移住して3年半経った今も肝に命じていて、だから発信するときには、考えに考えているし、苦しんだ結果の発信だったりするし(特に記事は)、それでも失敗することはある。そういう時はしばらく病む。

でもなぜ今、発信を止めないのかと言えば、理由は2つあります。

 

ひとつは移住者として、福島と首都圏を行ったり来たりする機会が、福島県在住の人より少し多い身として、首都圏に今の福島の楽しさや前向きさや普通の日常が、本当に伝わってないなと感じて、勿体ない、悔しいと思うから。こんなに可能性があって、面白い人が沢山いる福島県浜通りに、もっと人が来て欲しい。

もうひとつは、仲間が応援してくれるから。この地域を好きになってくれて、麻衣ちゃんが発信してくれるのはうれしいと言ってくれるから。この地域を価値あるものだと発信するのは、移住者の方が適していると思ってくれる人が結構いると知ったからです。

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 (いわき市田人町のいちご。福島県のいちごの約40%をいわきでつくっているんですって)

 

でも何度も書きますが、それは私と、あと多分周りの人が、耐えて来た日々が積み重なっての今なんです。

きっと私は、無礼で失礼なことをしてきたのだと思うし、私も地域や周りの人の何気ない言葉や態度に傷ついたりもした。

でもそれがすべて糧になって、今、いわき大好き、双葉大好き、浜通り大好き、そこに暮らす人たちが本当に好き、ってなっている。

 

ローマは一日にして成らず。

移住は1年にして慣れず。

なんじゃないかなぁと思ってます。

もし、移住してはみたものの、悩んだり病んだりしてる人がいたら、あなただけじゃないよ、頑張れば報われたり、理解してくれたりする人が現れるよ、と伝えられたらなぁと。

 

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(2018年元旦。富岡漁港(双葉郡富岡町)からの初日の出)

 

 

 

 

田人アートミーティングで感じた「はひふへほ」~ART MEETING 2016 田人の森に遊ぶ

福島県いわき市田人で、今日8月20日まで開催されていた「田人アートミーティング」。

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そこで私が感じた、「はひふへほ」について、少し書こうと思います。

は・・・廃
ひ・・・悲
ふ・・・負
へ・・・平
ほ・・・誇

は・・・廃
廃校、廃屋。廃れる…。
決していい響きの言葉ではない。
でも今回のアートミーティングでは、廃れてしまった建物に、息吹が吹き込まれていた。作品はもちろん、その建物自体が、あたたかいアートだった。

旧田人第二小学校南大平分校(上のチラシに写っている建物)、旧田人第二小学校、2つの廃校になった小学校と、山本邸という廃屋になった住宅(?)が、アートミーティングの会場に。

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「Vostokの夢」(北郷悟):旧田人第二小学校南大平分校

分校の入り口。右は職員室。なんて愛らしい建物。

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「再び、時が動く」(稲村雄太)<F.ライン>:旧田人第二小学校南大平分校

昇降口を入ると、作品がすぐそこに待っている。わくわくする。

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先日、いわきのプレゼンイベント「浜魂」の会場にもなった旧田人第二小学校。
建物そのものがやさしいアート。


悲・・・ひ
作品から悲しみの思いが響いてくる。
震災と原発事故の影響で、特に子供が避難してしまったことで、2011年以降5校が廃校になってしまったいわき市田人地区。今小学生は、4人だけだという。

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「Cut 2016」(前田真希):旧田人第二小学校

この作品に「悲」を感じたのではなく、むしろ悲しみを感じた作品は写せなかったし、長く見たり聞いたりすることが辛かった。
ここに展示されていた作品たちを見て、この地にまだまだ悲しみが残っていることと、この地を悲しみの地と感じる(外の)人たちが多くいることが、悲しく思えた。
私にとってこの地は、人と自然と可能性を信じたい地であるから。

負・・・ふ
悲より強い、負のエネルギー。
酷い雨が降っていたせいもあるのか、強く負を感じてしまったパフォーマンスやアートもあった。
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「ヒカリノフネ」(長谷川浩子):山本邸周辺

おそらくこの作品自体は、とても前向きな想いで作られたのだろうと思う。でもこの廃屋の2:46で止まった時計を見ると、あの日、あの時に起こったことを想像してしまうのを止められない。海のないこの地に、何が起こったのかを。

平・・・へ
平和。平安。平らかであること。
人と自然が、厳しくもやさしく共存している、田人。
私がこの地に足を運ぶのは、心の平安のためかも知れない。

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「平和」(キッズゲルニカ):旧田人第二小学校

この作品を、メイン会場の入口に飾ることが、このアートミーティングの大きなメッセージなのかな、と。

誇・・・ほ
誇り。
このいわき市田人地区は、いわゆる中山間地域、平たく言えば過疎地(行政的くくりで言うと過疎地域ではないのだが便宜上)。人口流出、少子高齢化が加速している地区。
そのような地域で、アートミーティングが開催されるのは、2013年、2014年に続き今年で3回目。全国各地のナンバーの車がこの地を訪れる。芸術作品が集結する。それはこの地にとってやはりうれしいことなのではないか。
でもなにより、私の知っている田人の住人は、田人のことを好きで誇りに思っているように感じている。それが、すべてかも知れない。

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「三匹獅子舞」(入旅人芸能保存会)

田人地区に4人しかいない小学生の内の3人が伝統芸能を披露。本来は敬老の日に、この三匹獅子舞と念仏太鼓を奉納するそう。ちなみにこの3人は3姉妹。
こうやって伝統を守り続けることも、その地の誇りを感じる。


たくさんのアートを浴びてきて、言葉を紡ぎたくなってつらつらと書いてみました。
正解はなくて、間違いもなくて、ただただ感じること。
その感じた想いが、いつかどこかで、芽吹く日が、多分来る。


今でも「永遠の夢に向かって」~アラフォー女をつくってきたもの

今回のブログは多分、東北応援とはあまり関係ないものになりそうです。私の大好きな音楽ネタ。しかも私を形作った1990年代のJ-POP話です。

タイトルで気づいた人も多いと思いますが、アラフォー女を語るのに外せないのが、大黒摩季です。

www.youtube.com


私たちアラフォー女が10代後半から20代前半の頃に大ブレイクし、圧倒的に支持されたのが彼女でした。

彼女の書く歌詞の通り、
恋愛では、『あなただけ見つめてる』と彼のために必死にサッカーのルール覚えたり、選ばれるのは結局何にも知らないお嬢様、とため息つきながらそれでも私にも『夏が来る』と信じていたり、
仕事では、正義で社会が救えないなら愛しかないでしょと『熱くなれ』とシャウトしたり、『永遠の夢に向かって』愛するこの街を出てみちゃったりしたわけです。

自分の足で立ち、自分の頭で考え、男も時代の不条理も乗り越えていく強くて美しい大黒摩季は、私たちの理想でした。同じ時期に小室哲哉の寵愛を受け現代のシンデレラを演じていた華原朋美じゃなくて、私たちは断然、大黒摩季だったのです。

その結果、結婚しなくても、自分の能力でちゃんと食べていける、世間的に「強い女性」=現在のアラフォー女を作り上げました。
また、結婚して子供もいても、社会や世間にちゃんと物申せる「たくましい女性」も生み出しました。
私たちは一番多感な時期に大黒摩季という時代の洗礼を受け、強くたくましい女性に、ならざるを得なかったのです。それはおそらく、日本も最後の成長期。ちょうど20年前くらいです。

夏になればサザンやTUBEを聴き、冬になれば槇原敬之ユーミンを聴き、ドリカムの恋愛シチュエーションに共感し、小室サウンドを歌い踊り、B’Zでこぶしを振り上げて、カラオケでは大黒摩季を魂込めて歌い上げるのです。

そんな風に育った私たちは、未だに社会を世界を変えられると信じているし、それに熱くなることがかっこ悪いとは思わない。あきらめたくない。

だから今でも「熱く」、「永遠の夢に向かって」歩き続けるのです。
しばらくぶりに大黒摩季の曲を聴きこんだら、そんなことを思ったので書いてみました。

 

※デビュー当時はPVだけの露出で、本当に存在するのか?とかビジュアル・作詞・作曲実は全部別の人がやってる「大黒摩季三人説」とかあったんですよね。懐かしい~。

もちろん後年、全部がすべて本人だったことが明らかになったのですが。


大黒摩季 - 熱くなれ~チョット~ら・ら・ら

こども食堂を手伝って思うこと徒然~いわき「こども食堂*みらいのたね」の場合

いわきに住んでもうすぐ2年。最近いわき市平で知人が主催する「こども食堂」のお手伝いをしています。

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今回のメニューは「豚の生姜焼き」「青菜の胡麻和え」「タケノコとふきの煮物」「ご飯」「味噌汁」「手作りリンゴニンジンジュース」

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この日は、子供・大人合計68名の参加。こんな風に配膳してます。


そんな中、こんな記事を見つけました。

toyokeizai.net

この記事を受けて、自身のFacebookにこんなポストをしました。

この記事は、本来「こども食堂」を必要としている「貧困家庭」に情報や支援が届かず、「当事者不在のこども食堂ブーム」に警鐘を鳴らそうという趣旨から始まった記事なのかなと思う。
でも実際にこども食堂を手伝ってみて思うのは、こども食堂の役割って「貧困」に留まらないということ。
貧困家庭じゃなくても、親が共働きで家族そろって食事がとれない家庭、核家族化で親と二人とか孤食になってしまってる家庭、子や孫と離れて暮らしているご年配の方や子供がいない一人暮らしの人(いわゆる私みたいな)も普段は孤食になることが多い。
そういういろんな人がひとところに集まって、わいわい言いながら一緒にご飯を食べること。それって十分に「こども食堂」の役割を果たしていると思うのです。
普段こんなに食べないのに、ここではいっぱい食べたという喜ぶお母さん、照れくさそうにお手伝いの女子高校生とご飯を囲む自治会役員のおじいさん、しばらく疎遠になっていた同級生同士が母になってからここをきっかけにまたわきあいあいとやる仲間に戻る、そして子供も地域とのつながりもなかった私がここを手伝うことによって地域のおとなや子供とつながれること。
いわきのこども食堂では、そんな素敵な出来事が毎回起こっています。

もちろんこの記事の冒頭のように、ホントに貧困家庭の子来てるのかな?単にお手伝いしてる大人の家族とその友達だけなんじゃない?って感じることもある。(実際には、問題を抱えた家庭の子も来てるみたい。)
でもそれは多分、もう一段階次のお話なんだと思う。まずはこども食堂が認知されて、継続できる体制になっていくうちに、対峙することなんじゃないかなぁと。

情報を集めるためにGoogleアラートに「こども食堂」というワードを登録してるのですが、今年度に入ってから毎日必ず1件はこども食堂の記事が配信されています。
都心・郊外問わずさまざまなところでこども食堂の動きが始まっているようで、それを受けての冒頭の記事だったのかなと思います。

すでに「こども食堂ネットワーク」という”こども食堂の輪を広げるための連絡会”もできています。

kodomoshokudou-network.com

その中に「こども食堂をはじめたい方への「基本のキ」」というPDFが紹介されており、以下の5点についてアドバイスが記載されています。

1.こども食堂にはいろんな形があります
2.「場所」と「ネットワーク」が大切です
3.相談に行ってみましょう
4.こどもたちの安全・安心のために
5.毎回、試行錯誤の連続です

 いわきのこども食堂のリーダーをしているYさんは、上記のこども食堂ネットワークの勉強会に行っていただけあり、そのすべてを網羅しているだけでなく、もともと地域とのつながりが強い方だったので、ネットワークも強くてすでに3回開いてるこども食堂の参加者は、毎回こども、大人合わせて50名を超えています。

でも最後にある通り、「毎回、試行錯誤の連続」。終わるたびにもっとこうすればよかったと後悔に襲われるんだそうです。私は毎回単純に楽しませてもらってるので、少しずつでも運営に関わってYさんのお手伝いになれればいいなーと思っています。

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町の公民館で毎月1回、わきあいあいとやってます♪